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2011年3月11日、日本東北地域の太平洋沿岸に大地震とともに津波が押し寄せた。これは1800人余りに上る死者を出しただけでなく、福島の原発の崩壊につながり、莫大な大災害になってしまった。篠崎誠監督の映画<シェアリング>はこの災難が日本人たちに残したトラウマとそれの克服を描いている。津波で婚約者を失った心理学科の教授である映子は婚約者が継続して現れる幻覚を経験しながらも、この事故による様々な形のトラウマを経験している人たちに対するインタビューをし、彼に対する研究をする。津波の犠牲者に対する卒業公演を準備する薫はこの災難と何ら直接的な関係がないにもかかわらず彼に対する夢を継続して見る。小さい娘と一緒に水の上に浮かんでいて、子供が水に崩れ流れるのを防ぐことができないという夢を。国家的災難と呼ばれるほど巨大な災害は多くの人々の胸に消すことのできない傷跡を残す。映画<シェアリング>は哀悼、そして他人との共有を通じてこのような傷と治癒を描いている。
(キム・ビョンチョル_2014年第19回釜山(プサン)国際映画祭)

インベーダー好き?
そこらのソシャゲに飽きた?
そんなあなたにオススメします!

インベーダー×ソシャゲのゲーム性!ズバ抜けたキャラ絵のこだわり!【フルボッコヒーローズ】やりませんか!コード入れるとガチャ回せます( *`ω´)http://t.co/x6KHOCxpWj
ID:222226JLP
@

Happy Birthday Léa Seydoux! (July 01,1985)

(Source: alsk00, via alsk00)

Scarlett Johansson & Joaquin Phoenix – The Moon Song

featuringod:

this needed to be uploaded

the moon song

Movies are a great diversion because it’s much more pleasant to be obsessed over how the hero gets out of his predicament than it is over how I get out of mine.

(Source: michellewilliamss, via bridgetjones)

brensykes:

Pinterest / Resultados de la búsqueda para 500 días de verano en We Heart It. http://weheartit.com/entry/30678440/via/Artpeace

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brain-food:

Thats a tasty way of quitting. Mr Cake, you’re my hero. 

brain-food:

Thats a tasty way of quitting. Mr Cake, you’re my hero. 

日経ウーマンだかの雑誌で「デキる女の一日」みたいなのを見たら「朝起きたらまず、ツイッター、ミクシィ、フェイスブックをチェックしてコメント返し」って書いてあった。おそらくダメな女の一日もそうやって始まっている

ナンパと芝居

この前、街の中で声かけ(ナンパ)をいわゆるナンパの目的とは別に芝居に連なる身体のコントロールと相手の反応を見る訓練として挑戦してみたのだけど(声かけられる側は大変な迷惑なので申し訳ない)あれほど芝居とは違う感覚で自身が曝け出されるとは思っていなかったので、とても面白かった。

一般的に見たら非社会的行為であるということが前提にあるからこそなのか、恐ろしい極限状態であり、街の中でいきなり声をかけることへの拒否反応が自ら手に取れるような感覚が凄まじかった。芝居の緊張状態とはまるで別もの。芝居とは違う、極限状態だからこそ見えてきた癖というか身体に数々の発見

ナンパ師の役を演じているというような意識じゃなくて、自分が何を相手に対して感じているか。相手の反応を見て何が伝えられるのか。だけをとにかく問題にすることで、その場にどう居れるか。自分のコントロールというか整理、また相手にどこまでコネクトできるのかを繰り返した。

芝居としてダメなところという指摘は、演出としてできるのだろうけれど、個性自体は否定できないわけだし、それは芝居の癖として引き受けて、芝居の癖として直せるかもしれない。ただナンパでどこまでも自分自身が問題になるからこそ、見えたと言える直せる自分の癖。コントロール。これ。この感覚。

いわゆるナンパの成果に興味がほぼなく、役者としてのスキルというか自身への意識があくまで問題にした。だからこそ、多少会話が続いた先に目的を失う。せっかく話しかけるのだからまったく下心がなかったとは言わないし、一応ナンパとして電話番号を聞いた時もあったけど、意識が自覚的コントロールへの向上心に向いていってしまったため、まるで届く言葉のはずがなく…

何人も声かけたけど、この申し訳なさに何度か心が折れた。精神力が削られた。責任感が強いとかじゃなかった。だからこそ、選り好まず手当たり次第声かけてた中で年上の人に行くのは辛かった。それは若い人なら少なくともナンパの体で居られるということの裏返しでもあった。

正直言えば、今年初めに出演した映画の時はテンパッてるだけという状態がなぞり返されたのである。居心地が悪くなると声が上ずってアップアップになる。まるで芝居でもなく何もかもコントロールできていなかったと。今芝居していること、この一年で多少のコントロールした芝居をしようとしていることは分かった。

ただまだまだ芝居するということのコントロール、自分自身でいることから、逃げていることを向き合わされた。授業の中で「メソッドで自分自身を使う」ということがどこまでもできなかったことを思い出した。教室に入ってきた自分を繰り返す。これは芝居じゃなくて自分自身を自覚的になることの訓練である。

自分にとって自分自身でいるということは、ある種のトラウマとして意識されてきた。演技の中で自意識とどう付き合えるかを演技を学ぶに当たって課題にしていた。自分でいることと芝居をすること、役と自分、この関係性的トラウマをとことん曝け出すという意味でも通じていた。

次のエントリーの中で体と言葉について演劇の演出家が書いた本に対して、ナンパに応用が効くことを触れている。自覚的な身体と言葉の訓練の積み重ねが芝居の基礎であり、それをさらに極限的負荷の状態で取り組むことができたのだなぁと改めて思うところである。http://d.hatena.ne.jp/qqille/touch/20110322/1300767106

ナンパの実践における意識として、相手は、共演者である。また街ゆく人が観客になると言える。またナンパの指導者がいればその人が演出家になるか。ナンパだと観客は、知らんぷりしているわけだが、芝居だと違う。この差はある。演出をつけられているという感覚で実践していたのは、面白いことだった。

芝居において「居方」が問題になることがあって、その場に居れないという感覚がある。これは、自分自身を曝け出す状態に向き合えてないからこその居心地の悪さだと思う。ナンパにおいてももっとシビアに自分自身がその相手、空間に居座り続けるという闘いを繰り返しているのである。

メソッドの「自分自身を使う」教室に入ってきた自分を繰り返す訓練において、自分の欲求や何がしたいのか、物を探すといった目的を持つことでその場に居られるという話があった。目的の中途半端なナンパの居心地の悪さはこのことにも尽きたかも。

もっとも身体とことばの基礎訓練という点で通ずることが可能でも、ただナンパの目的があくまでそういうことだけでいられることと、芝居において目的の持ち方、原因と結果にならない、ブラックボックス性、もっとも複雑なことだろう

そういう芝居に通ずることをなぞり返されもしながら、極限であった状態にとことん追い込まれていくにつれて響いてくる身体の反応。さらに見えてきたリラックス身体の反応。芝居の訓練として追い込むやり方ももちろんあるんだろうけど、わざと別のアプローチとして面白がれたことが率直に嬉しかった。

相手の反応を見つめる。この単純なことは日常的にやっていることなのに、芝居になるとできなくなったりする。何事もそうだ、というか、自分の感情にいっぱいいっぱいで見えていない。独りよがり。そこをもっとも自覚的になることが芝居に共有するスタートであり、ナンパ体験には芝居としては学べない反応速度があった。

ナンパの極限状態においてもっとも生の(きつい人もいる)相手の反応に対して自分の反応がいかにコントロールできていないか。芝居として反応を意識するのとは違う、実際に自分が晒される極限状態での実践としての反応の感覚、反射感覚。

「自分自身をきちんと乗りこなす」この言葉が今度やる舞台の個人的に漠然とキーワードにしていたものが、懐に落ちてきた。芝居で自身を乗りこなす感覚がよく理解できてなかった。どこか自分から逃げてた。本当に自分自身で居ることに向き合わされた、凄くいい経験になったと思う。

2011年3月11日、日本東北地域の太平洋沿岸に大地震とともに津波が押し寄せた。これは1800人余りに上る死者を出しただけでなく、福島の原発の崩壊につながり、莫大な大災害になってしまった。篠崎誠監督の映画<シェアリング>はこの災難が日本人たちに残したトラウマとそれの克服を描いている。津波で婚約者を失った心理学科の教授である映子は婚約者が継続して現れる幻覚を経験しながらも、この事故による様々な形のトラウマを経験している人たちに対するインタビューをし、彼に対する研究をする。津波の犠牲者に対する卒業公演を準備する薫はこの災難と何ら直接的な関係がないにもかかわらず彼に対する夢を継続して見る。小さい娘と一緒に水の上に浮かんでいて、子供が水に崩れ流れるのを防ぐことができないという夢を。国家的災難と呼ばれるほど巨大な災害は多くの人々の胸に消すことのできない傷跡を残す。映画<シェアリング>は哀悼、そして他人との共有を通じてこのような傷と治癒を描いている。
(キム・ビョンチョル_2014年第19回釜山(プサン)国際映画祭)

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(Source: michellewilliamss, via bridgetjones)

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Pinterest / Resultados de la búsqueda para 500 días de verano en We Heart It. http://weheartit.com/entry/30678440/via/Artpeace

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ナンパと芝居

この前、街の中で声かけ(ナンパ)をいわゆるナンパの目的とは別に芝居に連なる身体のコントロールと相手の反応を見る訓練として挑戦してみたのだけど(声かけられる側は大変な迷惑なので申し訳ない)あれほど芝居とは違う感覚で自身が曝け出されるとは思っていなかったので、とても面白かった。

一般的に見たら非社会的行為であるということが前提にあるからこそなのか、恐ろしい極限状態であり、街の中でいきなり声をかけることへの拒否反応が自ら手に取れるような感覚が凄まじかった。芝居の緊張状態とはまるで別もの。芝居とは違う、極限状態だからこそ見えてきた癖というか身体に数々の発見

ナンパ師の役を演じているというような意識じゃなくて、自分が何を相手に対して感じているか。相手の反応を見て何が伝えられるのか。だけをとにかく問題にすることで、その場にどう居れるか。自分のコントロールというか整理、また相手にどこまでコネクトできるのかを繰り返した。

芝居としてダメなところという指摘は、演出としてできるのだろうけれど、個性自体は否定できないわけだし、それは芝居の癖として引き受けて、芝居の癖として直せるかもしれない。ただナンパでどこまでも自分自身が問題になるからこそ、見えたと言える直せる自分の癖。コントロール。これ。この感覚。

いわゆるナンパの成果に興味がほぼなく、役者としてのスキルというか自身への意識があくまで問題にした。だからこそ、多少会話が続いた先に目的を失う。せっかく話しかけるのだからまったく下心がなかったとは言わないし、一応ナンパとして電話番号を聞いた時もあったけど、意識が自覚的コントロールへの向上心に向いていってしまったため、まるで届く言葉のはずがなく…

何人も声かけたけど、この申し訳なさに何度か心が折れた。精神力が削られた。責任感が強いとかじゃなかった。だからこそ、選り好まず手当たり次第声かけてた中で年上の人に行くのは辛かった。それは若い人なら少なくともナンパの体で居られるということの裏返しでもあった。

正直言えば、今年初めに出演した映画の時はテンパッてるだけという状態がなぞり返されたのである。居心地が悪くなると声が上ずってアップアップになる。まるで芝居でもなく何もかもコントロールできていなかったと。今芝居していること、この一年で多少のコントロールした芝居をしようとしていることは分かった。

ただまだまだ芝居するということのコントロール、自分自身でいることから、逃げていることを向き合わされた。授業の中で「メソッドで自分自身を使う」ということがどこまでもできなかったことを思い出した。教室に入ってきた自分を繰り返す。これは芝居じゃなくて自分自身を自覚的になることの訓練である。

自分にとって自分自身でいるということは、ある種のトラウマとして意識されてきた。演技の中で自意識とどう付き合えるかを演技を学ぶに当たって課題にしていた。自分でいることと芝居をすること、役と自分、この関係性的トラウマをとことん曝け出すという意味でも通じていた。

次のエントリーの中で体と言葉について演劇の演出家が書いた本に対して、ナンパに応用が効くことを触れている。自覚的な身体と言葉の訓練の積み重ねが芝居の基礎であり、それをさらに極限的負荷の状態で取り組むことができたのだなぁと改めて思うところである。http://d.hatena.ne.jp/qqille/touch/20110322/1300767106

ナンパの実践における意識として、相手は、共演者である。また街ゆく人が観客になると言える。またナンパの指導者がいればその人が演出家になるか。ナンパだと観客は、知らんぷりしているわけだが、芝居だと違う。この差はある。演出をつけられているという感覚で実践していたのは、面白いことだった。

芝居において「居方」が問題になることがあって、その場に居れないという感覚がある。これは、自分自身を曝け出す状態に向き合えてないからこその居心地の悪さだと思う。ナンパにおいてももっとシビアに自分自身がその相手、空間に居座り続けるという闘いを繰り返しているのである。

メソッドの「自分自身を使う」教室に入ってきた自分を繰り返す訓練において、自分の欲求や何がしたいのか、物を探すといった目的を持つことでその場に居られるという話があった。目的の中途半端なナンパの居心地の悪さはこのことにも尽きたかも。

もっとも身体とことばの基礎訓練という点で通ずることが可能でも、ただナンパの目的があくまでそういうことだけでいられることと、芝居において目的の持ち方、原因と結果にならない、ブラックボックス性、もっとも複雑なことだろう

そういう芝居に通ずることをなぞり返されもしながら、極限であった状態にとことん追い込まれていくにつれて響いてくる身体の反応。さらに見えてきたリラックス身体の反応。芝居の訓練として追い込むやり方ももちろんあるんだろうけど、わざと別のアプローチとして面白がれたことが率直に嬉しかった。

相手の反応を見つめる。この単純なことは日常的にやっていることなのに、芝居になるとできなくなったりする。何事もそうだ、というか、自分の感情にいっぱいいっぱいで見えていない。独りよがり。そこをもっとも自覚的になることが芝居に共有するスタートであり、ナンパ体験には芝居としては学べない反応速度があった。

ナンパの極限状態においてもっとも生の(きつい人もいる)相手の反応に対して自分の反応がいかにコントロールできていないか。芝居として反応を意識するのとは違う、実際に自分が晒される極限状態での実践としての反応の感覚、反射感覚。

「自分自身をきちんと乗りこなす」この言葉が今度やる舞台の個人的に漠然とキーワードにしていたものが、懐に落ちてきた。芝居で自身を乗りこなす感覚がよく理解できてなかった。どこか自分から逃げてた。本当に自分自身で居ることに向き合わされた、凄くいい経験になったと思う。

Scarlett Johansson & Joaquin Phoenix – The Moon Song

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"日経ウーマンだかの雑誌で「デキる女の一日」みたいなのを見たら「朝起きたらまず、ツイッター、ミクシィ、フェイスブックをチェックしてコメント返し」って書いてあった。おそらくダメな女の一日もそうやって始まっている"
ナンパと芝居

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